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Category: スピリチュアルな世界に触れる為の準備

まずは、スピリチュアルな世界に触れる為の準備を行います。

本当のスピリチュアリズムに到達する為に①

近年は、本来の姿のヨガや仏道とは違い、非常に簡単にスピリチュアルな成長や体験を得る術が多く紹介されております。 悪質なものになりますと、スピリチュアルな体験を錯覚的に引き起こす事を目的としたものもある様です。 しかし、実質を伴った霊的成長を本当に得たいと願った場合は、現代においてはそう簡単に得る事は難しいでしょう。 感覚としてある程度であれば、2~3分で得られる知識等によって、ある程度体感する事が可能ではあるとは思います。 しかし、ヒーリングや神秘体験のレベルになりますと、それなりの知識を得てそれに伴う時間も要するはずです。 そこで、今回は本当に実質を伴ったスピリチュアリズムに到達する為に必要な土壌を整える為の知識を得てみようと思います。 まず、何よりも大切な点は、妄想からの脱却です。 精神世界の追求を行なっていると、ある時点で「自分は万物を操る事が可能な神の様な存在である」と思わせるような場所に行き着く事が多くあります。 そこの時点で留まってしまうと、自らが何か精神世界において誰よりも偉大であり、絶対である様な錯覚に陥いってしまいます。 偉大な人間の生まれ変わりだったり、神の化身であったりと物質世界においての捉え方は様々な形で現れます。 しかし、その感覚で留まってしまっていては、その先にある実質を伴った精神世界に到達する事はありません。 次に、極限まで判断力を高める必要があります。 判断力が鈍ると結果、妄想にも陥りやすくなります。 つまりは、目の前に光る霊体が現れたと致します。それを安易にレベルの高い存在、善なる存在と信じこんでしまい、結果破滅に向かう事もあります。 過去の様々な聖典等でも数多くの事例がある様に、日常から判断力を高める修行を行なっている人々でさえも、それによって騙されてしまった事例が多くございます。 近年チャネリング等によって、それらの事例を見る事が出来ます。 勿論、たまたま高い存在によって導かれている方々もおりますが、残念な事にかなりの割合において、導きを意図としていない存在から情報を受け取っている傾向もございます。 その様な導きを意図しない存在から情報を受け取ってしまっていた場合、正確でない予言を継続的に受け取ってしまったり、霊的成長とは全く関係の無い方向に導かれたり、自らがレベル以上に高い存在であると慢心に満たされたりします。 結局、妄想の領域連れていかれてしまうのです。 妄想妄想と連呼しておりますが、日常生活においても妄想は恐ろしいものである場合があります。 例えば、本当に自分を大切に思っている人に気付かず、その人が自分の事を嫌っているという類の妄想や錯覚の場合等明らかです。 更には、存在もしてない幽霊がいると信じ込んでしまった場合等も同様に苦しいですよね? つまりは、物質的な世界に生きてきた人間の場合、霊的世界は現時点では、多くの方々が見えません。 見えない世界であるからこそ、より自らの精神を正しい判断力を持って観察して捉える能力が必要となります。 全ては信じたい事ばかりでは無いでしょう。 先述致しました、自らが高い存在であるという錯覚の領域に囚われてしまった場合、自らの弱点等が見えにくくなってきます。 霊的世界つまりは、実質的な本当に意味と成長があるスピリチュアリズムを追求されたい場合は、 相手が虫や獣、悪魔や天使、子供やペットであっても常に謙虚であり、常日頃から正しい目と判断力を身につける事が必要となります。 つづく。

本当のスピリチュアリズムに到達する為に②

前回は、本当の霊的成長。実質が伴うスピリチュアリズムに到達する為の土壌を整える話を少し書きました。 今回も前回に引き続きもう少しこの土壌を整えてみましょう。 余りエキゾチックな話も無く、つまらなく感じられる方々も多いかと思いますが、今度真剣に精神世界を追求される場合には、とても大切なポイントとなりますので、是非もうしばらくお付き合い下さい。 前回のお話を違い形で要約致しますと。結果インスピレーションや霊的な感覚から享受するあらゆる事象を適切に判断する為に高度な判断力と洞察力が必要となる事を書きました。 それを例えると、森の中で食用可能な植物か否かを判断する判断力と洞察力に似ております。 果たして妄想では無いか、自然と身につけてしまった偏見や固定概念から創りだしてしまった幻想では無いか。 都合の良い営利的な目的の為に作り上げられた思想に都合良く利用されていないか、、、、、etc. ネガティブなマイナス面から見ていくとキリがございません。 それでは、いかなる基準を元にして、正しいインスピレーションを得る事が出来るのか。 実は、それらを非常に判りやすく説明してくれている書籍等も多くございます。 人ぞれぞれになってきますので、私個人として多くを霊的判断力、洞察力を得る事が可能となった本の代表は、 古代インドで書かれたバガヴァット・ギーターになります。 ただし、この本も全ての方々に適切な霊的洞察力、判断力をもたらす事は出来ません。 それでは、個人個人にとってそれらを得る為には、どうすれば良いのか? 一番は、既に目覚めた先生を見つける事でもあるのですが、これもまた営利目的が優先された方々が多く存在し、 更には残念な事に、それらが集団化してしまっている場合もあります。 今回のお話も結局前回に引き続き似たような結果で収まってしまうのですが、まず、霊的な洞察力、判断力の正しいそれを獲得するには、いくら大金を積んでも得られません。 誤った方向性に導き、インスタントに得られる先導をされている方々の言葉はそれこそ甘い物はございますが、多くの場合霊的成長にすら届きません。 霊的成長を遂げる際に必ずしも、聞きたい言葉であるとは限りません。また、あって欲しいと願う自分では無い場合の姿が本性である場合もあります。 ある一定のレベルまでは、運良く良い導き手や仲間に恵まれても、生まれた時や死ぬ時同様最終的には、自分一人で究極の答えの追求となります。 そろそろ次回から本格的に霊的な成長を遂げる為の術を記載していきます。 段階追って一つ一つ書いていく予定です。

スピリチュアル・霊的成長の目的①

それでは、このサイトの主旨でもございます。霊的成長に関してでありますが、そもそもなぜ人は霊的成長の追求をするのでしょうか? 更には霊的成長とは何を意味する事なのでしょうか? 人間を含める森羅万象のその全ては霊が宿っております。 植物や鉱物にすらも、霊は宿っております。 しかし、その霊と申しますのも、人間が思っている幽霊な様な存在ではございません。 非常にニュートラルで、物質や霊の区別すら難しく、人間が生きている状態である様な明確な存在でもございません。 良く生物が死ぬと霊体が抜けると表現されますが、それも人間がその様に見ているだけであります。 人間の体、動物、鉱物それぞれもその形や色自体が既にその霊性の一側面を表していると見て間違い無いでしょう。 文章にすると少し難しいですが、所謂霊体と言う形に物質が磁石の様に付着し物質化した状態が肉体と見ても良いのかもしれません。 つまりは、犬は犬の様な形をした霊体であり、それに物質的な元素が磁石の様に付着する様な形で肉体を構成致します。 それは植物や鉱物に然りです。 その霊体が崩壊や、物質が存在し得ない次元や現時点での人間では可視化し得ない次元に移行した場合、その霊体を骨組みに構成されていた肉体が基軸とするものを失いバラバラになります。 これが所謂肉体の死と見て良いのかもしれません。 ここで一つ霊というものの実質の一部をご説明差し上げましたが、それではその成長とは一体どの様な事を指すのでしょうか? また、それを成長させる事の目的とはどの様な事なのでしょうか? このシリーズの記事ではそれを追求していきたいと思っております。

スピリチュアル・霊的成長の目的②

前回は大雑把に霊体の性質に関して触れておきました。 今回は、もう少しそれを掘り下げてみたいと思っております。 ここの再度書いておきたいのが、人間の霊体及び、その霊と言われる事象自体が非常に複雑な様相をもっております。 それは人間の肉体もしくはそれ以上に複雑なものです。つまりはミトコンドリア、神経、血管等医学に従事している方々以外既に把握する事が難しい我々人間の肉体同様に複雑なものです。 それを全て把握するには、勿論長い時間を要します。多くの場合すれなりに真剣に向き合わない限りは、到底それを把握する事は不可能に近いのです。 しかし、近年のスピリチュアルブームに乗じて派生した様々なヒーラーの方々や、ヒーリングセミナー等のプログラムを見ていると、非常に短期間のものが多く、果たして本当にヒーリング等出来るのか? という疑問を否めません。 つまりは、人間のヒーリングを行う際も、この霊自体の性質や構造、及び人間の肉体に関連する霊体の様相を把握する必要がございます。 通常西洋医学に従事し、お医者様を目指されている方々であれば6年間大学に通い、更には研修医として従事する期間も含めるとかなりの時間を勉強に費やします。 それは現時点の人間社会において、把握出来ている肉体を理解するだけでそれだけの時間を要するという事です。 それでは、霊的なヒーリングを行う人間であった場合、もっとそれが短時間で習得可能なのか?という事に関しては大きな間違いであります。 霊的なヒーリングを行う技術の習得を望む場合においても、6年間もしくはそれ以上に霊的知識を習得する為の時間を要します。 少し話がずれてしまいましたが、これ程霊的存在と言うものも、人間の肉体同様に複雑であり、それなりに学ぶ姿勢が無いと到底知る事は出来ないと言う事を書く必要性があると思いました。 霊的成長の目的に話を戻したいと思います。 霊的成長を何故人が望むのか?詳細まで書いていくと上記に記載した事でありますので長くなりますので単純に書きますと、人間が二本足で立ち上がり、同時に言葉を発そうと努力していたのと同様の事であります。 ただし、霊的成長が肉体における成長や物理的な成長との大きな違いは、人間が死と呼ぶ物理的肉体の終焉にて崩壊するものではありません。 霊的成長は、自らの存在のみならず、最初個体の成長であっても霊的成長をもって自らが個体であった時に遂げた成長は宇宙全体に影響します。 これが、どの様な作用で行われるのか次回書いていきたいと思っております。

スピリチュアル・霊的世界の証明①

2000年代初頭に生きる私共にとって、一つ重要なのは霊的世界の証明です。 物質レベルにおける科学的な事柄に関する証明は、私達が生まれた日から囲まれておりますので、最早疑いようが無い事で説明はしなくても問題無いかと思っております。人類が多くの犠牲を積み重ね、頭を捻って導きだす事に成功した多くの事柄の集大成となっており、その恩恵を受けて今日生きている事に感謝せねばならないかといつも思っております。 しかし、霊的世界における証明、違う見方を致しますと霊的世界の確実なる実感と理解に関しては、我々が今日生きる文明社会では少し得難い点があります。今回のシリーズは霊的世界の証明に関して書いて行きたいと思っております。 霊的世界の確固たる実感と証明を得られていない、段階で間違った先生方についてしまうと、大きな問題が生じます。自らで確認する事が出来ない世界に関しての答えを常に他人に求めてしまう形になります。大切な事なので例えを混じえて説明を致します。 科学者でも無い多くの方々は、太陽の構造を自ら近寄って見た事も無いのに、何故ガスの塊であると信じているのでしょうか?それは、教科書に載っていて、科学的な側面から研究されている方々が言っているからだと思います。しかし、教科書や科学者の方々が何かしらの計算ミスを犯し、全く違う科学的結論が一般知識として広まっていたと致します。その場合、完全に間違った知識を信じて生きていく事になるかと思います。 霊的世界では、残念ながらこれらの誤ちが多く行われております。 更には残念な事に利己的な目的の為に利用される場合もあります。これも、真剣に今度霊的な成長を遂げようとされている方々にとっての大きな障壁となっておりますので、少し詳しく書きます。 例えば、私達が迷いが生じた場合に霊的世界のアドバイスを必要とし、霊能者の所に訪れたと致します。仮にそれで物事が上手く運んだと致しましょう。しかし、その後、問題がある度にその霊能者を訪れてしまう事になります。つまりは、霊的存在としての自立が出来ません。更に近年多く見受けられるのが、これによって最終的に霊能者のエゴを満たすアドバイスにすり替えられ望ましくない方向に導かれ不幸になる事例が多くございます。それでは霊的世界にアドバイスを必要とした場合、どの様にすれば良いのか? 答えは簡単で、自らその霊的世界の証明を獲得し、霊的世界の直感を正しく受取る様になれれば霊能者に頼らざるとも答えを導き出す事が可能になります。 また、序に記載致しますと、例えば不幸続きで何か物理的な現象以上の因縁等の事象が働いている様に感じたと致します。そして、霊能者の所に訪れて先祖の祀り方が悪いと指摘されたと致します。霊的世界の証明を得られていない人間であった場合、それが嘘か本当か見分けも付かず信じざる負えない場合が多いのです。この場合においては、霊的世界の知識を正しく知り、得る事が出来ていればそれが正しいのか、間違っているのか見分けがつきます。更には、その不幸続きの理由が霊的世界の作用であった場合、その答えすら自ら得る事が出来るのです。 その為にも、霊的世界の証明を自ら得て、今まで学んだ霊的知識、また学んでいく霊的知識が正しいのか間違っているのか選別する必要性があるのです。 ここまで書いたので、一応書いておきたいのが、本物の霊能者の方々も実際多くいらっしゃいます。しかし、残念ながら利己的な目的の為にそう装っている方々や更に、霊的能力があり他愛を目的としている様な事を言いながらも利己的にその能力を使われている方々もいらっしゃいます。 本物の霊能者の方々をたまたま運良くお見つけになられて、アドバイスを頂いているとしても、依存してはなりません。盲信ほど時には怖いものもありません。一時的なアドバイスとして受け取り、霊的証明を得た後、自らその霊能者が何を元にアドバイスをしているのか自らの力で導く事が最も正しい方法かと思います。 今回は、霊的世界の証明を得る事の大切さをまとめてみました。いよいよ次回は、その証明の得方を書いて行きたいと思っております。

スピリチュアル・霊的世界の証明②

前回は、霊的世界の証明を自ら獲得する大切さを記載致しました。 今回は、その霊的世界の 証明を如何にして得るかを具体的に書いていきたいと思います。 人それぞれを言ってしまえばそれ切りで終わってしまいます。私も当記事を書きながら極力普遍的にそれを得られる方法を皆様と模索していきたいと思います。ただ、予めご了承頂きたいのは完全なる実感の獲得を生じさせる事が可能なのは、個別でお伝えした場合にみであり、今回は残念ながらその時間も余り無いようです。しかし、感の良い方の場合、それが100人に1人にも満たないかもしれませんが、当記事でお気付きになって頂けるかと思い、当記事に価値があったものかと思っております。 まず、気やオーラをご覧になれる方は、霊的世界を実感するのは早いかと思います。気または、オーラの存在をただただ目視するのみでは無く、それが何故あるのか?更には、その気やオーラが色々なシチュエーションにおいてどの様に変化し、私達人間も含めた生き物、植物、または鉱物に至るまで、その観察を続ければ最早現時点の人間社会が物質とよんでいる次元のみでの存在では無い事が実感可能かと思います。ただ、時にこれらの現象が錯覚等である場合もありますので、何度も恐れず再確認が必要かと思います。 気やオーラをご覧になったり感じる事が可能な方以外にも、霊的存在や最早無視する事が出来ないレベルで直感を実感されている方々も同様、それらの現象を観察する事によって実感可能かと思います。 上記の例の方々は、取り敢えずの所、その世界や存在の実感のみで大丈夫です。それらの能力を使って次の段階に進む様にお手伝いするのは、また違う記事にて行いたいと思っております。 次にこれらの所謂特殊と言われる能力が未だ備わってなく、霊的成長や見えない流れによる悩みを抱えている方。当記事において解決策までは至る事はございませんが、一度その存在を実感する必要性がございます。 まず、一番簡単な所でいきますと、時に無視が出来ない偶然等が重ねて生じた経験はございませんでしょうか?記憶を辿ればその様な経験がある方は多いかと思います。もしおありであれば、それらの偶然が数学的に生じ得る確率を考えます。そうなると最早天文学的な数字になる事になると思います。ただ、それだけでは何も実感にはなりませんよね?しかし、大きなヒントとなる事は間違いございません。少しずつ様々な現象や認識を重ねて実感に至りたいと思います。 次に、植物の観察を行なってみましょう。太陽を浴びて、水を吸い循環させております。その他様々な現象がその植物の内部で生じておりますが、おおまかにはこの2つに着目してみましょう。太陽から所謂エネルギーを取り入れております。エネルギーと良くわかったかの様に我々は平気でこの言葉を使いますが、実は物凄く抽象的にしか理解出来ていない場合が殆どかと思います。しかし、そのエネルギーによって植物は命を育んでいるのです。その太陽のエネルギーを得た植物を、草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べます。結果、太陽のエネルギーによって、生命自体が保たれている状況が見えます。されど、その太陽のエネルギー自体今度は物凄く不思議なものではありませんか?想像してみて下さい。既に感が良い方々はその物凄さにお気付きになるはずです。 更には太陽が宇宙の始まりからどの様にして誕生して、更にはそのエネルギーによって、我々が生きる事が可能となっているか。とても不思議ではありませんか? 次に、生命たるもの自体の不思議です。鉱物やミネラルの化合物でありながら、どの様にして喜んだり、笑ったり、かわいがったり、かわいがられたり、踊ったり、歌ったり、夢を見たり、喧嘩したり。これらを全て脳内生理学で説明されようとする学者様もいらっしゃいますが、何か違和感はございませんか? 地球にエネルギーを送る太陽も丸ければ、地球を含めた他の惑星も丸く、太陽系はグルグルと円を描きながら周り、更に銀河系もグルグル回っております。これを私達の日常使っている様々な物質的発明品で叶えようとした場合、とんでもないエネルギー量となります。到底人間にはまだ不可能の領域となります。これらの莫大なエネルギーは何処から生まれてくるのでしょうか? 私達人間が現時点で正常と言われている形態で生まれた場合、左右対称のはずです。しかし、ゆらぎから始まって物質すら存在しえなかった宇宙に、左右対称のもの自体が存在している事が不思議ではありませんか? まず、霊的世界の証明、つまりは実感の第一段階は、これら日々わかって生きている様な事の多くが実はかなり謎であると言う抽象的な疑問で思考によって捉える段階で問題無いかと思います。 既に感の良い方は、この段階で既に何かを実感されはじめたかと思います。今回は余り時間がございませんので、是非次の記事へと読み進めて頂ければ幸いです。 まだ、実感に至ってない方々、次はこう考えてみてください。 宇宙の始まりは何も無い無の状態から揺らぎが生じ、ビッグバンが起こったと言われております。その後、チリが生じて集まり、惑星となったと言われております。それから、アミノ酸が何故か合成され、更にはそれが単細胞生物となり、魚の様な動物が生まれて、両生類が出てきて、、、、~中略~ 人間が誕生します。そして、両手を見てください。パソコンの画面か、何かのデジタルデバイスをご覧になって当記事をご覧になって頂いておられるかと思います。 そして、考えてみてください。偶然に偶然を重ねて果たして人間が誕生し得るのか?水が誕生し得るのか?言葉を発し、意思を通じ合わせる個体になったりしえますでしょうか?ココでも既に感の良い方々は、今まで当たり前の様に信じていた科学的説明が宗教的な人間の誕生の説明と同じもしくは、それ以上に可笑しな論説を信じてきてしまっているかご理解頂けるかと思います。 具体的な説明は、後々となりますが、人間やその他の動物の設計図が元々あって、宇宙が誕生し今日まで至ったと考える方がよっぽど常識的では無いでしょうか? また、もう一つ見方を変えてみましょう。私達人間が今日に至る形態は生き抜く為だったと言うのが進化論とされております。しかし、ただ単純に子孫を残して生きていく為のみが存在意義だった場合、何千度と言う高温に耐えたり、凍っても生き続け、真空で冬眠可能なウィルスやその他の単細胞生物の時点で進化を止めなかったのでしょうか?それらの生き物の方がよっぽど生きていく為のみであれば効率的なはずです。 しかし、考え、悩み、月まで到達し、ボイジャー号の様に太陽系の外まで人工物を飛ばす今日の我々がいます。そして、この文章を構成している文字を理解し、考える事が可能な生き物になりました。果たしてこれらの謎を再認識した時に、教科書等で教えられている説明によって全てが説明つきますでしょうか? まだ、完全なる実感に至らないものの、最早今まで常識だと思っていた事が常識では無い事を実感頂けましたでしょうか? 私がリード可能なのはこのレベルまでです。一人一人であれば、更にこれらを明確なビジョンとしてお見せする事も場合によっては可能なのですが、それをやってしまうと、今後の追求や思索に支障をきたしてしまいますので避けておきます。 つまりは、最低限これらの疑問を元に自らの内側から、自らの存在の何か物質的現象では解明しえない部分の実感が最も高尚な霊的世界の実感であり、証明かと思います。 もっと砕いて説明差し上げますと、我々個体の存在、更にはそれが捉えている世界と言う現象自体が霊的な世界そのものが含まれていると言う事であります。 両親、兄弟、友人と会話する時に目を見て話したりします。それらは、ただただ有機体と有機体が、脳内の動きだけで会話と言う現象を生じさせておりますか? 街中を歩きます。ただの科学的説明がつく合成物が、お互い話したり、歩いたりしておりますでしょうか? 多くの場合、何か違うと感じるはずです。その何かの大部分が霊的世界の実感や証明に繋がる糸口と見て良いかもしれません。 いよいよ土壌が整ってきたと思いますので、次回からはより具体的な世界の様相やアセンション、アストラル等のお話をしたいと思います。